映画『スポットライト』は職人芸

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ダンサーに憧れる。ダンスの全てには意味があり、その全ての意味を具現化させる為の肉体は彫刻の様に一切の無駄がないから。

 
な〜 んて、カッコつけた出だしですが職人さんとか好きです。その仕事の為に徹底的に磨き上げられた動きはリズミカルで淡々と繰り返される。それを頭の中で自分 でも出来るかと脳をフル回転させてイメージするのですが、当然素人に出来るわけもなく、「あぁ、やっぱりすごいなぁ」なんて思うわけです。
 
まぁ、そんなことは興味のない人にとっては、まったくもってわからないものですが…。
 
映画『スポットライト』は、そこまでガッツリ職人芸!という話ではありませんが、プロフェッショナルの仕事とは?なんて事を思わされる作品でした。
 
内容をざっくり述べると、日本人にはなかなかわかりにくいですが、教会組織で日常的に行われている児童虐待の真実を新聞社が追求する!と、出回り切ったお話そのままです。
 
が、私たち日本人にとって教会というのはなかなかわかりにくい場所で説明的にいうなら、安全で温かく常に私を守ってくれるはずの存在(場所)=温かなコミュニティ みたいな感じでしょうか?
 
うん。全然わかんないよね。
 
私的に言うなら、小学校1年生の友達100人出来るかなと、なんかキラキラした感じの小学校入学数週間時とでも言いましょうか。
 
まだまだ明確な仲間意識もなく、いじめもなく、母親の様な教師と明るい未来が広がっている、そんな場所。教会知らないけどね。きっとそんな感じだと思う。
 
そんなコミュニティに巣食う“オトナの子供へのいじめ”。 適確な表現が浮かばないので何とも言いにくいが、“児童虐待”に対して複雑な立場環境が分かれる。
ここが複雑なところであり、映画の核心。
 
とても一言で説明できる問題ではないですが、この問題というのは学校だろうが会社だろうが街だろうが、国だろうが、全てのコミュニティに溢れている日常の中の妥協や打算、そして、コミュニティを守る為に!という最も愚かな各々の偽善。
 
そんな偽善は、決して混ざり合わないはずの悪と正義をグラデーションで結ぶ。結果、誰もが加害者で誰もが被害者になり、事態は黙殺される。
 
そ んないや〜な空気感をプロフェッショナル(完全な他者)として、プロフェッショナルが淡々と処理をしていく。例えるならば手術室の中と外。手術中に医師た ちは様々な困難に立ち向かうが、外にいる我々はその困難を何も知らない。出てきた結果だけに一喜一憂し、時には喜び、時には暴発する。
 

日常に巣くった病巣、その事実に気づいた者がおのが定めと手術にかかる。淡々と自分の役目をこなしていく姿とストーリーが傍観者である私たちに問いを投げかける。映画自体には単純明快な善悪も、圧倒的カタルシスもない。

どんな事態も淡々と進むものである。手術室の中に入るのか、外で待つのか、自分の立場であり役目を知ることが重要。そんなことを思わせる映画でした。

 

って、多分見てない人にはなんにもわからないと思うけども個人的には好きな映画でした。

 

spotlight-scoop.com

 

 

 

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