映画『太陽』にギャップを感じる

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映画『サイタマノラッパー』で有名な入江悠監督作品。面白かったかどうかでいうと、個人的には全くハマらなかったが、肯定的な意見を見ていると映画と言うものの在り方って言うのは人それぞれだなぁとつくづく感じるものでした。

とかく邦画の批評で挙げられるのが、説明の過剰さと過小さ。過小さを埋めるのは演技であり、演出、脚本である。色々見ているとここのバランス感覚が合う合わないが大きく影響する訳で、とりわけ『サイタマノラッパー3』の過小さが個人的には良かった気がする。思い返してみると過小だったかどうか疑わしいが…。
モノづくりをしていて1番気を使うのがこのバランスなのだが、よく言われる古き良き日本の以心伝心、阿吽の呼吸はそれまでの環境が大きく影響する。だからという訳でもないが、いわゆるマーケティングと言うのがとても大事。
そういう視点で考えると、日本における映画の位置と言うのが前提である訳で、お世辞にも日本の中で映画と文化は根付いているとは思えないが、これが現状。
どの作品が良くてどの作品が悪いかなんていうのは、各々の価値基準の問題だからとは思うが、やっぱり最近の邦画はつまらなくなってきたな〜と感じる。
単純に私のような人間がターゲットにはならなくなったのかもしれないが…。という訳で、『サイタマノラッパー3』がツボだった私としては、入江悠監督の次回作に期待するとしつつも、『ちはやふる 下の句』が予想を上回ってくれるはず!と、日本の映画好きとして信じたい。

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